act 1.幼稚園
幼稚園の頃は、図形で構成された動物のイラストを、友達と描いていた。
私が、『しかくいうさぎ』というキャラクターをドヤ顔で描いていたところ、
友達二人が、『私も描きたい』と言ってくれたので、
二人それぞれに『まるいぱんだ』と『さんかくのねこ』というキャラクターを作ってあげた。
『しかくいうさぎ』の漫画を、画用紙で作ったマメ本に描いた。
『たのしい幼稚園』などの雑誌でしか漫画に触れていなかったため、
漫画であったかもわからない。
「これは、大人になるまでとっておこう」そう思った。
しかし、その漫画は、作ったその日に
洗濯機でまわしてしまって
もう読めない。
act 2.小学校
小学生になり、学童保育で知り合った友達と、
コピー用紙を無造作に切ってホチキスで止めたマメ本に漫画を描き合った。
「夢は漫画家」の友達であった。
その時描いていた漫画は、気になる漫画のパロディ(同人を知らなかった)だったり
日常で面白いと思った出来事を膨らませたものだったり
なぜかセーラームーンが丸裸だったり(私の漫画だけです)
今見たら笑えるんだと思う。
しかし、今は残っていない。
押し入れの奥にしまってしまい、今もあるかもわからない。
また、小3で同じクラスになった友達と、
キャンバスノートに手描きで書いた4x5の格子の中に、漫画を描いた。
一晩で10P描く、という罰ゲームも、塾で忙しいさなかやりとげた。
想像力にあふれていた。
自慢になったら悪いが、小学校の頃6年間、毎年何らかの賞を取っていた。
(しかし、自己中で自慢しいで、友達には好かれていなかった。)
act 3. 中学・高校
中学になり、頭の良い私立に入った。
そこには私より頭が良く、絵が上手い子がわんさかいた。
一気に中流になった。
某神演義にはまり、同人を知り、それからは
漫画の絵ばかり描いていた。
人間の絵では勝ち目が無いため、たれぱんだの絵を描きまくっていた。
たれぱんだを描けば、私より絵が上手い子達が、私の絵を見てくれた。
「おもしろいね」と、褒めてくれた。
そんななか、体を壊し、一気に劣等生になった。
絵をしばらく描いていなかったため、絵が一気に下手になった。
劣等生になった私は、授業中、ノートの端に、らくがきばかりしていた。
へたくそな、らくがき。
それを毎晩2〜3枚、スキャナに取って、サイトの『らくがきコーナー』にUPしていた。
それを毎日見てくれる、ネットの友達がいた。
それが私の生き甲斐だった。
act 4. 専門学校
専門学校に入った動機は、『FLASHクリエイターになりたい』だった。
当時CMサイトというお小遣い稼ぎサイトを毎日見ていて、
いつかこのサイトでお仕事をしたい、と夢見たからだ。
学校に入って、Flash作成ソフトのアカデミック版を買った。
授業を2回受けたその晩に、自分の絵が動く、憧れていたFlashアニメーションを作った。
専門学校には、デッサンの授業があった。
一回目は、「まあ、うまいんじゃないですか」と言われた。
それが『学生レベルだとまあまあ、あくまでまあまあ』という含意に気づいたのは最近だ。
言葉の意味を深く考えなかった当時、嬉しくなった。
デッサンの授業は、二回目以降は、別の先生になった。
一回目の先生は、臨時の先生だった。
その先生に、「お前は絵が下手だ」と言われまくったのだ。
言葉通りの意味を捉える、純粋だった私は、
次第に『絵への自信』をなくしていき、
『絵を描く事の楽しさ』を見失っていった。
しかし今思うと、私より絵が上手い子に、私のデッサンを見せて
「こういうタッチを採り入れてもいいかもな」と言っていたり、
「毎日朝デッサン室に来て、毎日描け」と誘ったり
(絵への自信をなくしていたため、そんな気力は無かった)
多少認められていたのではないか、と今にして思う。
(ツンデレなのかなwwwwwwwwwwwwwww)
絵を描く事が、幼稚園の時から好きだったため、
『絵を描く事』に少し否定的な感情を抱いてしまった心をごまかすように、
人物デッサンの本を買い、
お金がないのでニッセンを定期的にもらい、
チラシの裏にそれらの模写をしまくった。
だが、全然上達がみられなかった。
辛かった。
それは、意地から来る、全然『楽しくない』事だった。
その後、絵と関係ない人間関係でうまくいかなくなり、
学校の役割として、プログラマーになった。
こちらは向いていたし、需要があったので、ほめられ、上達した。
そして、プログラマーとして就職した。
act 5. 社会人
「私は絵じゃなくて、PCの方が好き。PCを極めたい」
と、絵の上達を諦めた。
フジリューは好きだったので、たれぱんだのイラストを量産していた。
たれぱんだの同人誌も、精力的に作っていた。
一方、なんとかハイクというサイトで、友達と仲良くなるために
オリジナルのイラストを捻出していたが、
心からは楽しくなかった。
なんとかハイクで睡眠時間を削ってイラストを描いていたら無理がたたって、
再度体を壊した。(※今は猛省して、そんなことしません)
病み上がりの私は、趣味のプログラムを書きつつ
フジリューの友達と繋がっていたいために、たれぱんだのイラストを量産していた。
ピクシブが流行ってきて、
『ピクシブで閲覧数を取る』という価値基準に支配されて
閲覧数を取れないイラストを描かなくなった。
たれぱんだのイラストなら閲覧数やブクマが取れる。
そんな歪んだ価値観に支配された私は、
人間のイラストを描くのをやめ、たれぱんだのイラストばかり描いた。
そのうちたれぱんだのイラストも、"すごい人たち"と比べて見られない。
(そんな人たちと比べるなんて、身の程知らずだが、同じプラットフォームで載せているため、同じ土俵と勘違いしてしまう)
たれぱんだを描く唯一の理由だった『見てもらえる』『褒められる』ということすらなくなり、
私はたれぱんだの筆を折った。
しばらく、絵は、たまにメモを書いて捨てる紙のはしっこに、生首(笑)を描くだけだった。
act 6. 某習い事(リから始まる)
習い事は、絵に関係が無いものだ。
同業種が多く、絵が描ける人すら少ない。
少し「褒めてくれるかな…」という下心が芽生え、
プリントのはしっこに、落書きを描いて、友達に見せた。
友達は絶賛してくれた。「絵うまいんだ〜!」と。
それから、習い事の行事ことあるごとにイラストを披露した。
習い事におけるみんなの『喜び』を増やせたかな、とは思う。
act 7. いま
しかし、絵に関する自信は戻ってこない。
まだ心から「絵を描くのが好き!」と言えない。
トラウマを克服するのには、時間がかかる。
「私より絵が上手い人から見たら、私の絵なんてごみだ」
そんな価値観が未だ拭えない。
多分このように思うのは、「絵が好きな気持ち」が足りない…失ってしまったからなのだ。
絵が好きで、絵が上手い人が見たら、
「絵を好きでいてくれる仲間がいて嬉しい」と思うだろう。
頭ではわかっている。
絵に固執しているこの気持ちを断捨離して、
画材を売っぱらって筆を折ろうか、何度も考えた。
しかし、否定的な気持ちながらも、努力を重ねてきたこの技術を、簡単にやめられない、これは執着だ。
絵に関してここまで語れて、悩むのだから、
客観的に見たら『むちゃくちゃ絵が好きなんだねw』って言われるかもしれない。
思っても、努力しても、報われず、固執している。
絵に、辛い片思いをしているのだろうか。
2013年01月12日
漫画家を目指していた私が、絵が嫌いになるまで
posted by いりも at 12:40
| Comment(2)
| 日記
一種の自己表現だと思うから
無理に描いたり
無理に描くのをやめたりしな方がいいと思うよ
最後にも書いてあったけど
それだけ悩むってことは
なんだかんだ
絵を描くのが好きなんだと思う
とりあえずわたしは
あなたの描く絵が好きです
ブログの挿絵は、無理に描いてる気がするなあ。
でも、ブログを少しでも見てもらうために、挿絵を描いてるっていう、仕事??みたいな感じになってしまっていて、これって、『好きな事を仕事にしたら、好きじゃなくなってしまった』人みたいな、義務になっちゃってるね。
自己表現なのに、ビジネスチックになっちゃってる。
迷ってるなあ。
思い入れが強いだけに、楽しく描けないっていうのに、悩んでるのかな。
絵で表現したい物もなくなってしまったし、
昔あふれるほど表現が出てきたから、悲しいのかな、さみしいのかな。
ありがとう。
また、絵に関して、語り合いたいな。
p.s.
年賀状、手描きで送ったんだけど、一人暮らしの方に送っちゃったみたいで、帰ってきちゃった。。
手描きだからもったいなくて、
表に「帰ってきました」はんこ入ってるけど、今度受け取ってください!